何の気なしに読み進めた『スティーブン・スピルバーグ論』がパンチライン続出でやばかった。
《そもそもリンカーン伝にしても、日本史で言えば関ヶ原の戦いの大将のようなものではないか。覇権と言ってもローカルな政策転換に過ぎないのだが、その方がかえってドラマチックになるのがアメリカ映画のマジックなのだ。そうしたアメリカ的な特殊性、局地性を最もよく示すのが西部劇というジャンルなのも自明な点だ。》(p54)
スピルバーグ自身の発言。《三人の騒々しい妹たちと、七人のお付きの女性がいるピアニストの母を持つ家庭で育つ、ということだよ。ぼくはまさに女だけの都で育ったんだ。》(p60)!知らなかった…。
《ぼくはとにかく、テレビでは決して見ることのできない物語に魅入られているんだ。普通の日常では決して体験できないような物語にね。だからこそ、ぼくはあり得ない夢の方へと引きつけられる。》(p67)
インタビュアーによるスピルバーグの発言。《――あなたは以前、映画で育った映画チルドレンによる聖戦を開始したい。新しい才能を持つ監督たちを率いて映画戦争を始めるんだ、と言ったことがあります。》(p70)映画戦争!!!
バック・トゥ・ザ・フューチャー』についてのインタビュー。ロバート・ゼメキスと、ボブ・ゲイルの発言。《ゼメキス:もともとのアイディアでは、ネヴァダの核実験施設が、映画のクライマックスになるはずだったんだ。(…)/ゲイル:全体的なアイディアは、デロリアンの動力をプルトニウムにしたことから来ている。エメット・ブラウン博士が、かつて原爆開発のためのマンハッタン計画の一員だったことを匂わせようと思ったんだ。ぼくたちは核実験というテーマに魅了されていた。砂漠に模型の街を建設して、それを吹き飛ばすという行為にね。『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2008)の冒頭を思い出してほしい。インディが核実験にさらされるという、あのアイディアはどこから来ていると思う? 大元は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんだ。》(p104−105)うぉーこれはぶちあがった…。
《だから、彼(スピルバーグ)の主人公たちは皆、「敵」を粉砕する過程で、じぶん自身をも破壊してしまうのであり、出発点の「白いおうち」に変えることができなくなってしまうのである。(…)「敵」を破壊することが、じぶん自身を破壊することにねじれていってしまう。追いつめられる「敵」と、追いつめるじぶんが、やがて鏡像のようになってゆく『ミュンヘン』(…)》(p160)
ぜひ、ポール・ヴィリリオ『戦争と映画―知覚の兵站術』を読みたい。
とりあえず、ゴア・ヴァービンスキーローン・レンジャー』がすこぶる傑作だったので、どこかでまとめたい。まさに、上記で引用した部分と関わる、アメリカ史を偽史的に(「見世物」として)語りなおした「西部劇」だった。
パシフィコ横浜にマンモス見に行ったんすけど、YUKAって日本でつけた名前じゃないんですな、知らなかった。テンション高まったのは、象牙の工芸品だった。

あと今日は初めてスタジオパークに行った。『あまちゃん』メイキングをガン見し、撮影の美しさに感じ入る。ロケの画がやばい。

ただグッズは買わなかった。シール一瞬迷ったけど。
ところで渋谷やらないと思っていた『パシフィック・リム』、とりあえず上映館あるのでよかった。しかしなぜシネパレス?TOHOシネマズなぜやらないのだろうか…。
27時間テレビ、またしても一瞬も見ないまま終了。
『ROLa』創刊号読んだけど、『GINZA』フォロワーっぽいという印象だがどうなるんでしょうね。
携帯に撮りだめているめしの写真、どうにかしたい。