忘れないように記しておきたい。見た映画。テレンス・マリックトゥ・ザ・ワンダー』、原田眞人『RETURN ハードバージョン』、ジャスティン・リンワイルド・スピード EURO MISSION』、ゴア・ヴァービンスキーローン・レンジャー』。まだ何も書いていない/今さらブロスがあまちゃん特集やるのなぜ/dancinthruthenightsと新井ひとみの曲、ラップになってから俄然最高の曲になるなぁ/センター街の祭りばやしなんなの/

ロブ=グリエ『消しゴム』読み終えた。
語りの空虚さ。言葉が重ねられれば重ねられるほど、その意味を消失させていく。
《(…)大して重要でない細部――あるいは犯罪となんの関係もない事実――の空しい議論に巻きこまれてしまい、事件の本筋を説明したいと思いながら、あまりに下手な表現でそうしたために、ヴァラスの口から語られると、あの秘密結社や同じ時刻の暗殺といった話が、非現実的で、無根拠で、「下手なでっちあげ」のように見えてしまった。》(p277-278)
《言葉を口に出してしゃべるだけで、それを真面目に受けとる気になれなくなるものだ。》(p278)
《(…)こうした相次ぐ話の脱線は、それがどんな方向への脱線であろうとも、まったく同様に話の性質を変えてしまうのである。》(p280)
《店先での会話に興味をもつ理由など何もないのだ。/にもかかわらず、なぜか聞いてしまう――いや、聞こうとしてしまう。というのも、どこから出てきたのか、何の音なのか定めがたい、ひどく曖昧な雑音のほかに、もはやまったく何も聞こえなくなったからだ……。》(p296)
《大音声が構内を満たす。見えないスピーカーから降りてきて、ビラや広告のポスターがべたべた貼られた四方の壁にぶつかり、さらに増幅され、跳ねかえり、大きくなって、すこしずつずれたこだまと響きの連鎖で膨れあがり、最初の言葉は失われる――》(p332)
《(…)その場で話を創作しなければならない場合でも、とまどうことなく必要な細部を物語れた。この作り話はしだいに彼の心のなかで十分な真実味を獲得していったので、(…)》(p340)


雑然と商品がある雑貨屋の中で探し物をする時、《(…)目的の場所に達するためには、その途中に置かれているたくさんの品物をどかさなければなら》ず、そうして、《いくつもの引出しを開けたり閉めたりして、しばらくじっと考え、脚立によじ上って、調査を再開》したりするのだけれど、結局、《その品物はもうない》し、《「ここにはあんまりたくさん物があるから、なんにも見つからなくなってしまうんですよ」》と、店にいる男(決して店員とは呼ばれない)に言われることとなる。(p382)
現代世界において、探偵が、捜査官が、探し主が遭遇する事態がまさにこの状況であると言える。
過剰な「物」(証拠)が溢れ、捜索行為や、その過程に現れるいくつもの言葉、論理は、何度となく本筋から脱線し、一先ずの目的地にたどり着くことすらままならず、迂回させられ続ける(この小説のデュポンのように、街をぐるぐる回り続ける)。そうして結局、真実は見つからない。というか、最初からなかったのかもしれない。それは、《ある事件の写し、コピー、複製が演じられたにすぎず、その原本と鍵は別の場所にある》(p328)のだから。鏡の中の彫像は、写された手と触れあうことはない(p347)。
では、我々にできることはなにか。数少ないが、ひとつ、言えるのは、事件が発生した(と我々が思っている)場所、事件現場、に立ち戻ること、だろうか。そこにはきっと、我々探偵たちだけでなく、犯人(とされるだろう人物)も現れるだろうから。
しかしそこで何が起こるのか、「最初に戻る」ことで?
おそらく、同じ事が起こるだけなのだろう。繰返し。