モーニング娘。『セカンドモーニング』買った。

全然聴いてないけど、1曲目からパンチきいてる。歌声…。


ジム・ジャームッシュ『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』見た。

良すぎた…ので帰りに無意味にミスド寄った。魅力をじっくり考えたく。
映っているもの、撮られたものすべてが考え抜かれているのでもうほんと、見ているだけで幸福。冒頭の、次々とビンテージギターが取り上げられ、説明される、その画だけでうれしくなってしまう。レコードに針を落とす・ノイズが聞こえる、オープンリールのレコーダーが回り出す、こういったものに愛情があるのだと感じる。
そうした一定の張り詰めたものがある上での弛緩は良い物だなと思った。例えば、アダムの発電機や、死体を溶かす廃液の池。全財産渡して…のくだりの良い意味でのあっけなさ。
緊張も緩みも、素直に正面からとらえている。から、笑えるし、こちらもそのまま受け入れられる。
カメラワーク、室内や、ドライブ中の構図、ほぼ同じ。動いても、別に特筆すべきものはなく。先述のギターのシーンの奇をてらわなさったらない。
日光が苦手という設定を生かした動きとかもない。凡百の作家だったらやるはず。伏線っぽい拳銃と木の弾丸の捨て置かれっぷり。
ティーブン・ディーダラスとデイジー・ブキャナンという偽名のセレクトには笑ってしまった。
アダムは音楽と科学、イヴは文学、けれども映画を愛する吸血鬼は出てこない。血液を売りさばく医師の口から「ドクター・ストレンジラブ」「ドクター・カリガリ」という単語が口にされるのみ。絵画も不思議と排除されている、ので、視覚芸術はゾンビたちのものなのかもしれない(「YouTubeでみつけたの」「だろうね」)。アダムの家の玄関先の監視カメラの映像や、「見る」夢(エヴァの夢)は不穏さや不吉さをもたらす。吸血鬼たちは余計なものは見ないとばかりに、人間たちのいる場ではサングラスをかけている。
それを、まぁ、スノッブとか「文学ぶってる」と言えなくもないし(お前らとは違うぞ、という意思表示)、卑近な表現で申し訳ないんだけど中二かって感じだし(歴史上の人物の登場のさせ方、扱い方、絡ませ方)、自分もきらい…なはずなんだけど、ここまで徹底されてたらもう気持ちいい。
し、そういう物語をよりによって映画で語ってしまうというひねくれっぷりも愛したい。
ミア・ワシコウスカ、ふーんって感じっすけど(別にかわいくとか、「人間的に」魅力的に撮ろうとはしてないからだろうけど)、ジョン・ハート出てきた時「ジョン・ハートやー!!」ってテンションぶち上がった。ティルダさんもトムヒも必然性ないキャスティング、って言ってしまうと身も蓋もないですが。まぁヴァンパイアっぽさで、はまってはいる。こうやって撮るなら、ケイト・ブランシェットでもグウィネス・パルトローでも、カンバーバッチでもトム・ハーディでもよいのではなかろうか。すいません。
ベスト入らんだろう、とか言ってごめんなさい。とても良い映画でした。もっと大きな画面で、できれば爆音で鑑賞したい。音楽もかっこよかったので、久々サントラも欲しい。
アダムの「ヒーロー」たちと思われる、壁にかけられた写真の中に、カフカがいたのぐっときてしまった。


ぜんっぜんどうでもいいんですけど、新しいヤンジャンの表紙の篠田麻里子の胸の谷間。


最近、ほんと食事すると具合悪くなるという謎現象。それどころか昨日夜シーフードフライ定食が目の前に出された瞬間、「………食えねぇ」と思ってしまった。なんぞこれ。