見た映画。

ジェームズ・ガンガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

カエルをいじめるのを嫌悪していた子供が(この連れ去りシーン、もやの具合もあいまって、アンブリン魂感じていいなと思った)、大きくなって小動物を蹴り飛ばすの、を見たことにはじまり、見てる間、ずっと、なんらかしらの違和感があって、もやもやしていた。しかもその冒頭ののりのりのシーンの音楽の使い方も、BGM的に思えてしまったんだけど。タイトルの出方は好きだ。
アクションの撮り方、一個、どうしても納得いかないところがあった。ガモーラの、監視塔への飛び移り、なぜ、真下からなのか。超人的な肉体の動きを描くにしてはださすぎる。
あと、そこを描いてくれ、というところをすっとばしがち。ピーターが、義足をどうやって入手するか。さらっと金で買ったことを言葉で説明するだけ(はっきりいって最低のねたばらしのやり方だと思う)、っての、どうなんだ(ついでにいうと、ガモーラが、生体に埋め込まれている鍵をどうやってとったか、とか、そういうとこが重要なんじゃないのか―…)。スターロードの口八丁でやる感じ悪くないんだけど、それがどうも中途半端というか(運転するときヘルメットかぶらない、街中で戦闘したらすぐ警察くるの当たり前だろ、とか、賢さがどうもよくわからん)。まー、ダンスとか、義足のちの義眼とか、映画においてあるモチーフとして生き生きとさせようという気があまりないんじゃないのかなー。知りませんが。の、わりに、終盤の大惨事を、何重にも設定して描くというこだわり。
良かったのはグルートと、電気でしびれるガモーラの骨が透けるとこ。
…ひさびさにこんなわるい感じになってしまった。すみません。


マット・リーヴス猿の惑星: 新世紀』

冒頭、エイプたちだけしか出てこない、狩りのシーンの充実っぷりにいきなりわくわくさせられる。
もちろん、前作同様、視線、いうより見ること、を通しての描写もすばらしい(ブルーアイズという名前、シーザーしか見ていない謀反)んだけど、それにもまして印象に残るのは、2つの手が触れあう、つなぐ、にぎる、といった行為が、全編を貫く1つの強いイメージとして表れていること。差し出した手に触れるという、実際に存在するチンパンジー、類人猿に特有の習性を巧みに用いつつ、そこから、触れた後すぐ離れるコバ、握手するエイプと人類、ラストの掴んだ手を離すシーン(それがそのまま、本作の重要なテーマの1つである、人間とサルの境界線、までも示してしまう)、と様々な描写へと展開させていくの、最高だった。
そして、朝陽に照らされる猿たち、暗闇の中へ溶けるように消えてゆく人間、の画には、感嘆した。
war heroとしてのコバさんはかっこいいしね。