昨日の夜の話から。
夜中、またしても、「らーめん凪 豚王」に行った。どんだけ好きなんだ。
店内に、男二人組。聞こえてくる喋り方から察するに、完全おねぇ。片方がおじさん。
店内の有線で、「天国のキッス」が流れて、おおいう人たちって、松田聖子好きだよなぁ、なんて思ってたら、そのおっさんの方が、ノリノリで「キーッシーン ブルーヘーブーン」と唄い出したので、やっぱ聖子ちゃん好きなんだ…良いもん見た、という気がした。ちなみにそのあとの「さよならの向う側」、「時の流れに身をまかせ」には微動だにしなかった。
朝まで会社にいて仕事しつつ、1時間くらい寝て、クリストファー・マッカリーアウトロー』見た。

しかし、朝一の回に見に来る人って、なんか独特の空気ある。あと、小学校高学年〜中学生くらいの女子2人とか見に来てて、なんで?と思った。
ほぼ徹夜状態で映画見ると、大抵寝てしまうんだけど(『インセプション』も『ツリー・オブ・ライフ』も…)、この作品ではそれは有り得ないだろうな、と思い見て、やっぱりそうだった。
冒頭、ほぼセリフなく画のみで事件を描写していく。ある男の、無差別射殺犯としての容疑が固まっていく過程を見せ、しかしその男と実行犯(ジョン・マクレーンの息子やん)の顔は明らかに異なり、「CALL JACK REACHER」の走り書き、そしてジャック・リーチャーというか、トム・クルーズは、迷いなく購入したサーマルシャツ、ネルシャツ、レザージャケットをまとい、着ていたアロハシャツを捨て去り――それまでの自分を更新してしまうかのように――、「まだ」呼ばれていないのにいきなり登場してしまう。このソリッドな映像表現。
正義を貫きたい男なのか、ただの粗暴な元軍人なのか。トム・クルーズという俳優の持つ力(と言っていいのかわからないけど)によって、この人物は、その印象を決して安定させてくれない。アップになり、その瞳、表情を見つめるが、笑顔はなく、とはいえしかめっ面ではないので、不愉快なのかそうでないのかわかりにくい。公衆電話で何度もかけるくだり、笑っていいのか?とすら思ってしまう。いや笑っていいはずなんだけど。そして、助けると言ったら助けるし、後悔するぞ、5人のうち2人は逃げる、と言ったらその通りになし、殴り殺す、と伝えた相手は本当に殴殺する。
殺し方がまたよくて。石だよだって…。一瞬で刑事を撃ち殺すのとか痺れたし、なんてったってラスボスのヘルツォーク!を結局撃っちゃうのとかぱねぇ。あの事務所の暗さ…。
いやむしろ、その空間、場所、ある人物との対峙において、コミュニティになじむために、自分の容貌を変化させることをよしとしないdrifterであるということだ。
動きの一連を見せるアクションや(これ見ると細かくしすぎだよと思ってしまう『96時間/リベンジ』)、スピード感というか重厚な(方向転換の動きをしっかり見せてから発進する)カーチェイス
にしても、最終決戦で、ロバート・デュヴァルも来ちゃうのはぐっとくるわ。
で、舞城王太郎『キミトピア』買って、『テッド』のチケット買っといて、一回家に帰って、シャワー浴びて着替えて、また出て、飯食って、原美術館の『MU[無]─ペドロ コスタ&ルイ シャフェス』見た。

「少年という男、少女という女」という作品が、スクリーンを背中合わせにして一つの部屋で展示されていて、それを見ながら完全に寝落ちした。断続的に目が覚めると、映しだされているリスボンの風景が目に入り、夢と一概に言いきれてしまえない何か…。しかもこれは風景なのか、よくわからない…。街角の、得体のしれない…腐った木なのか、石碑なのか、が、延々と撮られ、そこを野良犬(本当に、日本ではあまり見ないTHE野良犬)、人々が通り過ぎてゆく。
シーンが変わると、どこかの路地で、ドラム缶で何かを燃やしている。その狭い道を、歌を歌いながら子供たちが歩いてゆく。画面の奥の方で、前触れなく、建物の一部、白い壁や庇がひどく崩れ落ち、その音もかすかにマイクに拾われている、ようだどうやら。ここは、ポール・トーマス・アンダーソン『ザ・マスター』の海外版予告で、片面に窓のある狭い廊下を、奥の方へホアキン・フェニックスが去っていくシーンを思い出して上がった。細い道をカメラが1つのカットに収め、そこに手前からの、または奥での動き、がある、というショット(初めて使ってしまった…)が好きなのかもしれない。
火山の噴火の映像が、複数の小さなモニターで、廊下に展示されている「アルト クテロ」。それらは、いくつかのカット、解像度のせいか真っ暗になってしまっている(暗さのグラデーションがない)画の中から飛び出してくる赤い溶岩、山の全景と煙、…これらが、時には幾つかのモニターで、同じものが流れたり同期して終わったり始まったり、する。無論すべてを一望に収めることはできない。
「カザル ダ ボバ地区」は、白い壁の部屋の一面に大きく、上下を合わせるようなサイズで投影されている。それはまるで、展示室の続きがスクリーンの中にあるような展示の仕方だ。窓、カーテン越しの光、外から子供の遊ぶ声、ベッドに寝転びつつ、交代に大きな咳をし、たまにむくりと起きだして腰かけ、つけっぱなしのテレビを見るでもなく見ないでもなく、ぼーっとしている2人がそこにいる。
「火の娘たち」では、三面のスクリーンに、それぞれ人物の顔のアップが映しだされ、それはほぼ止まっていて、とはいえ髪の毛が揺れ動いていることから静止画ではないことがわかる。このうち、2面に関してはどうやら同じ場所で撮られているようだ。2人は、顔も似ている。1つは、暗闇で、黒人だし。これらは、位置としては向かいあっていて、交わっているが、別の映像として分断されている。
…なんなんだ、ただ展示内容を説明しているにすぎない。それがおもしろいんだからしょうがない。もっとちゃんと考えられるだろうか?ペドロ・コスタの映画見たことがないので、見ようと思う。
茶店でアイスティーとパフェを食べ舞城を読み続ける。こりゃあ、ほんと、困った人たちシリーズだなぁ。困った「自分」たち、と言い換えてもいい、取り合えず、他者だから良いという問題ではないから。隣の席では、関ジャニオタがなんともいえない話をし続けていた。
で、セス・マクファーレン『テッド』見た。漸く見れた。

最初の、ユダヤ人の子供が何の根拠もなく(無論「ユダヤ人だから」なんだけど)いじめられるシーンで、ほぼ笑いが起きなかった。うん、これが日本だ。
若い男女で、人種ネタ(ミラ・クニスノラ・ジョーンズ…)、ドラッグネタ、『フラッシュ・ゴードン』、『サタデー・ナイト・フィーバー』とか『トップガン』、ハリウッドの芸能界――マーク・ウォールバーグが歌い踊る意味、ゲイっぽいライアン・レイノルズ(『グリーン・ランタン』!)――、が分からないと、最早笑うのは下ネタしかないので、字幕で「星一徹」とか「くまモン」とか出して頑張っていたのだけれどあまりなじんでいないように思えた。いやたしかに「パーキンソン病見たいな動き」なんてセリフは字幕じゃあ出せないから「盆踊り」、っていう考えも理解はできるが。
ちなみに横のカップルはほぼ笑っていなかったっす。まぁ自分も全部わかる訳ではないので(特に固有名詞はなぁ…)、えらそうなことはいえないのだけれど。
無駄にがたいがよすぎるマーク・ウォールバーグ(明らかサラリーマンの身体じゃあないんだよな…)が動き回る、くまの人形相手の格闘までかましたり(最高!)、球場を走りまわり子供をぶん殴ったり、するのだけでも見てよかったと思えたよ。
いつまでも子供のころを忘れられず、恋人に促されるがままに一旦は過去を振り切るが、その無理やりさゆえにうまくいかず、もう一度、正しい形で向き合おうとする、っていうのみんな言ってるだろうけど『ザ・マペッツ』だし、こっちの方が多くの人が笑える作品だったので、もっとがんがん宣伝しとけばよかったのに。だって『テッド』があんな混雑してるの、明らかにそのせいだから。
ところで全然関係ないのだけれど、『96時間』は『宇宙戦争』だな。あのラストシーンさえなければ。