今日の鈴木おさむのラジオ、ゲストがももち、ファンキー加藤のりピー、っていう胸焼けしそうなセレクト。で、「大人なのよ!」聴いてまたぶちあがった。シンセ最高やー。


今日の半端じゃない雪に思わず歩いて帰ってしまう。途中で寄った天一で食ったこってりがコカインばりに効いて、今までで一番うまいと感じたかもしれん。初めてあっさりを頼んでいる人を見た。その兄ちゃんだけでなく、二人連れのおばあさんも。あと、ひげづらぶさいくおしゃれ4人組が騒ぎながら食事していた。クラブ行くんだと。へー。どんどん積っていく道を歩く。風景が、まぁ月並みな言い方ですが、もはやどこだよ!?くらいに変化してしまっていて終始爆笑しながら歩く。最後の最後、家の前ですっ転んでしまった。まじでつかれた。メレルの、ゴアテックス使ったトレッキングシューズ、全然中は濡れず、脱いでさっそく外乾いていて、これなかったら死んでたな。そして今、アパートがうっすらみちみちいう音を聞きながらびくびくしている。雪の重み…?


で、そんな大雪の中(ま、あんま関係ない)ケネス・ブラナーエージェント:ライアン』見た。

ある一線を越える、ということ。

ハーパーは、上の階から窓ガラス越しに、リハビリをしている男を見ている。その時、担当医であるキャシーは、自分のところまで、「歩み寄る」、という単語で、立つことすらままならず横たわってしまう患者の、歩行訓練をサポートする。
ここでは、ある二人の人物の間にある一線が引かれている。ジャック・ライアンはその線を飛び越える。

ハーパーとの、一人は立ち上がり、もう一方はソファに座っての対面で、すでに自分が見られていたことに気付いていた、ことを告げる(服装の違いを指摘し、逆に「見ていた」ことすらも明らかにする)。
そして、前述の言葉に文字通り従い、患者と医師の一線を越えようとする。キャシーは走ることをさらなる関門として提示し、そして次のカットではすでに、雨降る中庭を走るジャックが見せられることで、彼が「突破」したことを示すし、その姿を、暗い部屋から見つめるハーパーに気付き、入口の前で立ち止まり、二人は外と中で向かいあい、ジャックは、その部屋へ足を踏み入れ、CIAへの勧誘を受け容れる。

高低差を含むその一線は、越えられ両者が同一地平に立つことで平穏・安定もする。それが新たな局面への展開、「事件」を誘発する。それを解決するため、再び線がひかれ、高低が発生する。

ロシアのホテルでの、初めての「殺人」を、バスタブへ相手の頭部を落とし押さえつけ溺死させるという形で行ったジャック(その後の、屋上、そしてモスクワ市街を逃げ続けるジャックとそれとなく追尾するタクシーが常に異なる高さに位置しているのも覚えておきたい。「モンスター」としての黒塗りのタクシー)と、ベンチで並んで座るハーパーは労をねぎらいつつ次のステージへと彼を導く。
それは、席のある2階より見下ろされる形でレストランから外へ飛び出し、エレベーターと階段と狙撃(同一の高さに並ばれたら終り)、のアクションで重要な情報を奪取することへ繋がる。
CIAのセーフハウスでの戦闘(写真参照。スポットライトが当たったかのような優れた照明!)、カーチェイス、は、同じ面にたどり着くまでを描くが、それが為され「解決」するとすぐにその均衡は崩される。
ウォール街でのテロも、狙われるビルの内部ではなく、冒頭の、簡潔で抑制されたジャックの前歴を観客に提示するシーンでさらっと触れられる911(ビルと飛行機の「邂逅」)に、対応するように地下から起こされようとしている。
ヴィランであるチェレヴィンと、政府高官との秘密の会談は、森の中を並んで歩きながら為されるが、「粛清」の時は動く車から誰も降りてこず、射殺される。

1つの動作で異なるカットをつないでいくすばらしさ、や、陰影の美しい照明も含めて、上記のようなことは、優れた映画に多く存在することなのだろう。今作は繊細な手つきで現代に復活した(携帯とPCの存在感のなさ)スパイアクションである(後半の、ジャック・ライアンといえば、の、分析、は、一室で申し訳程度に短時間描かれるのみ)。


以下雑感。
このロシアは、最初から負け戦だ。チェレヴィンは末期肝硬変、その「喋らない」(クール)息子はおそらく命を賭してテロを起こそうとしているだろう。最初のバックショットは本当にすばらしい節度がある(ジャックの登場と同じくらい)。ベッドサイドにキーラ・ナイトレイがいると、尻をむちで叩かれるん?って思ってしまうよ、クローネンバーグのせいで。あとあごと上の歯。ウィキに「クリス・パインの演技は本作の世界観にあっておらず、初登場シーンに至っては怒った子犬みたいだ」ってあって、当たり前じゃないか!!と憤った。