アンソニー・ルッソジョー・ルッソキャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』見た。

冒頭、朝焼けのワシントンでのランニングや、その後の任務における船上での移動や敵の制圧の様子を、距離をおいた俯瞰の映像で見せるという、キャップの「超人」表現のうまさ、そして接近してとらえるのはスピード感ある肉弾戦、さらにテロリストの挑発にのるという展開でマスクを取らせてクリス・エヴァンスにしっかり格闘シークエンスをこなさせている(最近、東映戦隊物におけるキャスト本人によるアクションについて考えることがあったので…)。
渋滞の中で行われる重量感あるカーチェイス(爆笑のサミュエル二度見!、車の窓ガラスを貫通する銃撃)、荒唐無稽っぷりが爽快なバイクアクション、ファルコンの動きが先導する空中戦、は無論冴えている。
なにより、複合的なイメージの中で、様々なモチーフが生き生きと扱われている。
まず、当然だけれど、亡霊、だろう。まず今作(現在)に対する前作(過去)というのもそうだ。キャップがスミソニアンで自身の展覧会を見て(そのことが、過去を知らない「観客」への説明という役割も果たしているのは上手い)、そして終盤にはかつての己の姿という幻影とすら邂逅する(見つめあう)。バッキー、ヒドラ、ニック・ヒューリー、ピアース、これらはすべて、かつて在り、失われ、しかし再び戻ってくるもの、である。そして、現在を未来の亡霊とするのが、今作のインサイト計画だろう。
しかし、鮮烈な回帰としてのペギーの再登場が、インタビュー映像と、掲げられた肖像だけ、という慎ましさを選択していたらどうだっただろう。あの時を超えた再会は、確かにキャップという人物でないと起こり得ないすばらしさがあるのだけれど。
それに、ここで彼女が指摘するスティーヴの「大げさ」さが、亡霊たちの陰謀を打ち砕くわけだが。それも、かつての軍服を再び纏うことによって(あ、スタン・リー御大の役柄はまたしびれます)。
もう1つは、落下。最初の任務と、最終決戦、そしてエレベーター、今作は、落下運動に貫かれている。そしてラストのヘリキャリアからの水中へのそれ、は、前作の北極の海へのダイブを思わせる(そして再び浮上する)。
それに、橋。重大な決断も(逃亡による決別も)、雌雄を決するのも、すべてそこで行われる。
逃亡する男女とシャワーを浴びた女の髪の弱弱しさ、物語を終わらせるのは、当たり前のごとく墓地である(サングラスのサミュエルのかっこよさ)。
ところで。この作品を、70年代のポリティカル・スリラーやサスペンス、という文脈で褒めるならば、ケネス・ブラナーエージェント:ライアン』もそう扱ってほしいなと思う(だってケネスも『パララックス・ビュー』、アラン・J・パクラ、に言及してたし)。映像的にはこちらの方が完成度が高く、自分には感じられた…(逆に言うと、画として惹きつけられるものは少なかった、ということなんだけど。あえて言えば、ランニングシーンと、基地、はよかった)。まぁそりゃあケビン・コスナーとレッドフォードじゃあ含まれる意味も重みも違いますけどね。