デヴィッド・クローネンバーグ危険なメソッド』見た。

あくまで、この映画における精神分析、ってことで、考えたい。
しかしまとまっていないので、とりとめもないものになってしまいそうだ。
規則や慣例、道徳などによって、欲求(というか欲動か)、感情が縛られ、「抑圧」され、人間社会が成り立っている。
それは、静けさに満たされた画面構成とも響き合う。
喋る時の口元だけ動き、聴き手は微動だにしない。カット内はほとんど静止しているかのようだ。
時折映る湖の水面には波は立たず、ひたすら凪ぎいている。表面上は、見えている部分は平穏である。
しかし、それらの表出されえないはずの内面は、身体の、言動の、歪みとして、規律から外れたものとして、現れる。
欲するもの、押さえつけられているもの本体ではなく、その代わりとしての、別のものの形となって登場する(別にザビーナは、発狂したいわけではない、当然だが)。つまり代替である。
ユングが、ザビーナを折檻し「罰する」時、その手が、ベルトが彼女の臀部を叩く、その接する点が見られることはない。セックスも同様である。それは、映像的表現で、隠されしかし語られる。映画で何かを表現することそれ自体が代替行為であり、その中で行われるのも代替行為である。コートをステッキではたく、それはpanishmentの代替行為としてザビーナに伝わり、彼女を興奮させる。
夢、もまた、代替物だろう。しかし、それは雄弁である。
決定的事件・出来事は、その瞬間には、他のそれと判別することはできない。見極めることはできず、後になって我々は知る。ユングフロイトは、船上でのあの夜に破局した、ということを。
向かい合おうことのない、精神分析のセッション。横並びに座るユングフロイト
人間の内面、が発見され、内と外、という概念で考えられるようになる、ことについて、あくまで、そのもの自体に踏みとどまろうとするフロイトと(ラカン)、超越的現象によって補助線を引こうとするユング
キーラ・ナイトレイまーた無駄に脱いでた。いやほんと、いみわかんない。
ウィキ見たら、クリストフ・ヴァルツフロイトにキャスティングされてたっていうね…やばすぎるでしょうそれは。どはまりしているわ。ヴィゴも良いんだけどね。
八十八良『ウワガキ』3巻、4巻買って読み終えた。いやー…よかったね。これこそアニメ化なんじゃないかと。